どうも、とある社長です。
仕事のコア部分に時間を割いていたため、もう3か月近くブログの記事を書いていませんでしたが、久しぶりに筆を執りました。
なぜかというと今回のタイトルのとおり、これからはアウトプット筋を鍛えておかないと勝負の土俵にすら上がれないということを最近強く感じるためです。
サラリーマン生活を離れ、幅広いジャンルで圧倒的な量をインプットすることを心がけ実践してきたところ、世の中で活躍している人たちはアウトプット力が非常に高く、そのため非定型的な出来事にも素早く対応が可能で、習慣として日常的にアウトプットをしていることがクッキリと見えてきました。
また様々なインプットをしていると、知識が頭に入ってくる充足感から、ついアウトプットもできるような気がしてしまうのですが、恐らくそれは気のせいで、日ごろからアウトプット筋を鍛えておかないといざアウトプットする機会が訪れた際にできないだろうなという感覚が日に日に強くなっているからです。
サラリーマン時代にはどうしても仕事周りのインプットが大半を占めていたので見えていなかったのですが、世の中は思っていたよりずっと速いスピードで動いていて、今後臨機応変に対処していく力がないと結構キツイ状況に陥ってしまうのではないかと危機感を持ちました。
そしてそういった世の中の動きを解像度高く捉えているような人たちも、やっぱり相当なアウトプットをしているので、これはもうアウトプットは必須だなと改めて感じました。
今回の記事では、そんなアウトプットについて思ったことを書いていきます。
そもそもアウトプット筋とは?アウトプット力とは違うの?
あえてアウトプット筋と名付けたのは、筋肉のように日頃から鍛えておくことが重要で、鍛えておくと色々なことに活用できる、ということがよりイメージしやすくなるためです。
筋肉を鍛えることでより大きな力が出せるという関係のように、アウトプット力を出すにはアウトプット筋を鍛える必要があります。
知識の定着よりも遥かに大事なアウトプット筋を鍛えるメリット
アウトプットについてはこれまで散々語られてきたテーマで、よくあるメリットの説明としては、インプットした知識や情報を記憶に定着させるのに効果的だというものがありますが、それはごく一部のメリットでしかないと思います。
このメリットでは、サラリーマン時代に日々忙しく、仕事に関する膨大な情報をインプットする必要のあった自分にとっては、英語や仕事に関することよりも優先して時間を割いてまでアウトプットしようと思う理由にはなりませんでした。
例えばブログにしても何にしても、いざアウトプットしようとするとそれなりに時間がかかります。
そうすると、ある1つの事柄について時間をかけてアウトプットして知識の定着を図るよりも、その時間で他の10のことをインプットするなり、仕事をするなりした方がより有意義に時間を使うことになるのでは?という考えになり、結局仕事以外のアウトプットはしてきませんでした。
しかし前述のとおりジャンルを問わない大量のインプットを重ねる過程でアウトプットを沢山している人を目にするうちに、アウトプットすること、アウトプットを通じてアウトプット筋を鍛えることは非常に重要、というよりもアウトプットはドレスコード(前提条件)であり、それをしないとこの先どうにもならないのではないかと思うようになってきました。
それではアウトプット筋を鍛えておくメリットとは何でしょうか?
それはずばり、アウトプットする脳の回路が発達し、臨機応変な発言や発信が高い精度で素早くできるようになる、というものです。
私たちはアウトプットをする際に、何をアウトプットするかを決めて、脳のデータベースから情報を取り出し、組み立てて出力していますが、訓練によりこの一連の働きの精度と速度を高めることが可能になり、それが今の時代ではもの凄く求められていることなのです。
精度が高いとは、適切なアウトプット目標を立て、それに応じた適切な情報を取り出し、取り出した情報を適切に組み立てて纏め、出力することです。
料理人をイメージすると、例えば重要な国際会議での会食の予定が入った場合に、どのジャンルのどの料理を出すか決め、最適な食材を準備し、適切な調理方法により、TPOに相応しく美味しい料理を人数分時間通りに提供する、といったところでしょうか。
そして精度が高い料理人であれば、臨機応変な対処も可能です。
例えば麻婆豆腐を作ると、麻婆豆腐の作り方や豆腐に対する知識が記憶に定着するというのは正しいですが、それだけではなく麻婆豆腐をもの凄く美味しく作れる人は麻婆豆腐に限らず、どんな材料のどんな料理も相応のレベルで作ることが可能です。
具体例を挙げると、ザ!鉄腕!DASH‼︎というテレビ番組で、グリル厄介というコーナーがあります。これは厄介者とされる生き物を捕まえてそれを美味しく調理できれば徐々に数は減るのではないかというコンセプトで、毎回タレントが捕獲した厄介者を様々なシェフのもとへ持ち込み、調理してもらう企画です。
当然食材としては定着していないものですが、腕利きのシェフのもとに厄介者を持ち込むと、始めて調理するのにも関わらず毎回とても美味しい料理に進化させています。
アウトプット筋を鍛えておくメリットはまさに、どんなお題でも上手にアウトプットできるようになりますよ、ということなのです。
そして嬉しい副産物として、アウトプットが上手くなるとインプットも上手くなります。アウトプットを見据えてインプットできるようになるため、情報のキモやストーリーの解像度が高く見えるのです。
またもや料理人を例に挙げると、初見の食材に対して、味が淡白だとかクセがないとか、筋肉質とか骨が多いなどと、その後の調理を見据えて特徴を瞬時に把握することができます。
皆さんも説明が上手い人は人の話を理解するのも上手い、という場面は実体験として容易に思い出されるのではないでしょうか。
メリットはまだまだあります。
一つはアウトプットする人のもとには情報が集まるというものですが、最近もう一歩踏み込んだ事象が見えてきました。
それはアウトプットする人のものにはヒトと情報が集まる、そしてそうするとモノやカネといった資源も集まるようになるというものです。
大量のインプットを試みる過程でいくつかnoteやメルマガ等を購読したのですが、アウトプットが上手い人のもとには沢山の活発なコメントやメール、マシュマロ(匿名のメッセージを受け付けるサービスでネガティブな内容はAIが削除)が集まり、書き手もそれらのコメントや質問等から多くの学びを得ている様子が窺えました。
恐らくですが、人はアウトプットが上手い人を信頼し、好感を持ち、自分の意見を聞いてもらいたくなるのではないでしょうか。
この人はよくぞモヤモヤと頭に浮かんでいたことをこうも明確に言語化してくれた、だとか、これまでとっつきにくいと感じていたことがスルスルと頭に入ってきた、是非この人に自分の話を聞いてほしい、頭の中でごちゃごちゃしていることを解きほぐしてほしい、という具合です。
アウトプットするネタがないという人も多いですが、アウトプットが上手い人のところには自然と様々なネタが集まり、そしてそれに対して更にアウトプットしていくという好循環が生まれています。
アウトプットの重要なメリットは他にもあります。
それは資産性があるということです。
例えば本が売れて収入になる、ブログで広告収入が入る、有料noteやメルマガが売れるという直接的なものもありますが、無料のnoteやブログやなどもお金以外の資産になります。
えとみほさんという方のnoteでこの辺りが分かりやすく書かれていましたので紹介します。
もっと大きな利点は「チャンスが巡ってくる」こと
そして、無料コンテンツのもう1つの利点は、思いがけないチャンスが巡ってくることだ。たとえば、私はリクナビネクストの求人に応募して栃木SCに入社しているのだが、その際に代表の橋本は私の名前を検索して、私のnoteを読んでくれていたと聞いた。noteをいくつか拾い読みして、私の考え方などに共感し、会ってみたいなと思ったということだった。
同じような話はそれまでにもいくつかあって、noteがきっかけで講演の話をもらったり、ずっと会いたかった人から連絡をもらって会うことになったり、社外取締役になってほしいという話をもらったりしたことがある。すべて、無料でコンテンツを公開し続けていたからこそ来たチャンスである。
そんなわけで、私にとっては、たとえば月の収入が10万とか20万増えるくらいならば、有料ではなく無料でコンテンツを公開し続けたほうがずっと(お金的な意味でも)利益が大きいと考えている。
自分に対する理解者や支援者が増えるという強み
お金のことを除外しても、コンテンツを無料で提供することの意義は大きい。なにより意義があると思うのは、自分の頭の中を文章にして晒すことで、自分を理解し応援してくれる人が増えるということだと思う。応援してくれる人がめちゃくちゃ多い人は、もうそれだけで「強い」。たぶん、なんだって出来てしまう。
自分がもし、目の前に「現金100万円」と「自分を真剣に応援してくれる20人の支援者」を並べられてどちらかを選べと言われたら、間違いなく応援してくれる20人を選ぶだろう。
有料マガジン、有料noteは儲かるのか(えとみほ)
物理的・時間的な制約で、直接会って話せる人数はごくわずかですが、こうしたアウトプットは一度発信してしまえば何倍もの数の人達に届けることができますし、思いもよらぬ人に届くこともあるかもしれません。
アウトプット筋を鍛えている人とそうでない人に広がる絶望的な格差
これまでのところでアウトプット筋を鍛えるメリットについて述べてきました。
アウトプット筋を鍛えることにはこんなにも素晴らしいメリットがあるので、やらない手はないのですが、残念ながら運動と同じで小手先のテクニックで劇的に向上することはありません。
だからこそわざわざアウトプット”筋”などと呼んでいるのですが、日々実践して鍛えていくことが一番の近道になりますし、意識的に実践している人は少ないので、鍛えれば多くの人から頭一つも二つも抜け出すことが可能です。
そして残酷なことに、アウトプットの能力が優れている人は益々アウトプットの機会に恵まれアウトプット筋が鍛えられ、そうではない人はそもそも打席にすら立てず、いつまでもアウトプット筋を鍛える機会が得られない、と、その差は絶望的に開いていきます。
分かりやすい例でいうと、喋りの上手い芸人はテレビなどのメディアにどんどん出るようになり、更に喋りに磨きがかかる一方で、喋りの下手な芸人は表舞台に立つ機会が少ないので、いつまでも経験値を貯められる機会がないという状況です。
これは芸人など一部の職業に関わらず、一般社会でも同じです。
これまで仕事を共にした非常に優秀な上司は、どなたも臨機応変な説明や受け答えが抜群に優れていました。このプレッシャーのかかる状況でよくこんなにもうまい切り返しができるもんだと何度感心したか分かりません。
もちろん、そういう人達は作成する資料も素晴らしいもので、どんどん難しい仕事を任され、日々その能力を向上させていました。
そして重要な仕事を任せてもらえない人たちはやはりアウトプットが苦手な人が多かったです。
臨機応変な切り返しはもちろん、準備して臨むことのできる場面での説明や資料作りも不得意でした(自分もそうでしたが笑)。
特筆すべき点としては、アウトプットが得意でない人は自発的に沢山アウトプットをすべきなのですが、むしろアウトプットを避けていたという点です。
気持ちは分かります。いざアウトプットをしてみると、考えていたよりも遥かに難しいことが否応なく分かるためです。
文章を書いてみたけど何だか稚拙に見えてしまう、言葉の意味はこれで合ってるんだっけ?、そもそも自分は何が言いたいのか分からなくなってきた等々、できない自分に真正面から向き合うことになります。
しかしアウトプットから逃げてしまうと、いつまでたってもアウトプット筋は鍛えられず、アウトプットができないと、ある一定以上の役割を任されることはないという正に負のスパイラルが待っています。
それなりの規模の会社であれば、色々な役割があるのでアウトプットせずに快適に過ごすことも可能ですし、そもそもアウトプットって何?という人も多いと思いますが、いつまでそうしていられるかは分かりません。
会社がこれまでと変わらずに存続するという幻想はもはや過去のものです。
そしていざ起業してみると、自分からどんどんアウトプットをしないと本当の意味で何も始まらないということが浮き彫りになってきます。
恐ろしいまでに世間は自分には興味がないことを実感しますし、誰かが言っていたのですが、いくら頑張ってても知らなければ応援しようがない、というように興味がないというよりは正しくは「無」です。
前述のように世の中で活躍している人はアウトプットをしています。そもそも、アウトプットしないことには認知すらされません。
あなたが思い浮かべる人はアウトプットしているからあなたの認知を得ているのです。
現在、様々なメディアが林立し、企業や個人が様々な発信をする中で、認知の重要性が益々高まっていきます。
これは世の中に限らず、例えば自社内でも、「この仕事はあの人ができそうだ」とか「この分野なら○○さんだな」といったように、まずは想起してもらうことが重要なので、アウトプットする人はどんどん面白いことができるようになり、アウトプットしていない人は益々面白いチャンスを逃してしまうという結果になります。
これからの世の中で求められるもの
インターネットが発達し、AIがとんでもないスピードで進化し、益々知識の重要性が薄れていく…という話は散々言われていますが、実感としてもそう思います。
というのも、昔は実務経験や人から教わる秘伝のタレみたいなものから得ていく知識に圧倒的な価値がありましたが、書籍によりノウハウも一般化し、更にインターネットで検索すれば分かりやすい解説付きですぐに色々な情報にアクセスできます。
そしていよいよ生成AIにより、自然言語で対話することを通じて知らない知識を瞬時に得て活用することが可能になりました。
このような時代では、知識が陳腐化していくことは勿論のこと、自分の能力だけで、更に物理的に手が届く範囲の相手だけと仕事をしていくことは非常に分が悪くなります。
昔は対面でその相手だけに仕事をすればそれで良く、テレビや新聞などの媒体で情報を発信できるのは限られたごく一部の人だけだったのですが、今では様々な分野の専門家も、個人も、様々な媒体でどんどん発信するようになっています。
知識の重要性が薄れていくと言いましたが、テクノロジーが進化し、情報が多様化する中では、膨大な知識を吸収することは必須で、その知識を組み合わせて活用する戦い方が求められます。
つまり単純に知っているだけではダメで、上手に情報を取り入れ、そして上手に活用するという、高度なインプット・アウトプット勝負の様相が更に強まっていきます。
そして簡単に情報が手に入り、簡単に情報が発信できる中では、自分の言葉で発信することがドレスコードになります。
借り物の言葉はすぐに見抜かれ、「あの人のパクリじゃん」とか「この人は何だか浅いな」、「胡散臭いな」と思われてしまいます。
「バズる」という言葉に代表されるように、流行り廃りのスピードが今までにない程に加速し、更にはコンテンツの多様化により、これまでのように誰もが知っているものはなく、事象が一気に多様化・複雑化した今の時代では、そういった世の中をタイムリーに観察し、言語化することの価値が大きくなっています。
今ってどういう状態なんだろう?という疑問に対する考えのニーズが非常に高い状態で、更に時事的なこと、水面下でも現時点で起きていることはネタが尽きません。
こういった時代には自由でスピード感があり、多様な個性を土台にした個人の、自分の言葉で発信することの価値が飛躍的に高まっていると感じます。
そのためにも日ごろからアウトプットを重ね、情報や考えを血肉化していくことが必要です。
具体的にどんな人がどんなアウトプットをしている?
それでは、具体的にどんな人がどんなアウトプットをしているのでしょうか。
主にブログやYouTubeなどで定期的なアウトプットをしている有名人を挙げると、ホリエモン、西野亮廣さん、岡田斗司夫さん、そして後藤達也さんが挙げられます。
賛否両論あるメンバーも含まれますが、世の中には様々な考えや背景を持つ人達がいる中で、全員が支持する考えなどなく、大事なことは、認知・拡散され、議論を巻き起こしたり、貴重な学びとなるような影響力を持っていることだと思います。
そもそも認知・拡散されていなかったらこれだけの範囲や熱量で賛否両論を巻き起こすことも不可能で、これだけコンテンツに溢れている世の中では、その認知を得ることが非常に難しいので、賛否両論はアウトプットしている証拠ともいえます。
この他にかじり始めたIT関係でいうと、登大遊さん、小野和俊さんが挙げられます。最近は書籍含め様々なかたちでアウトプットされておりブログの定期的な更新はされていないように見えますが、過去にブログでがっつりとアウトプットされている時期があり、天才といわれる人たちはやっぱりアウトプットしていますということで紹介しました。
今回の記事では冒頭に挙げた有名人がどんなアウトプットをしているかを簡単に紹介します。
まずホリエモンですが、ライブドアの社長時代からブログでアウトプットをしていて、2010年2月からは毎週欠かさずメルマガ配信(収監中も継続!)、他にもYouTubeやVoicy、講演会等様々な場でアウトプットしています。
内容も多岐にわたり、ビジネス、エンタメ、ファッション、テック、サイエンス、ゴシップ、時事ニュース…、ありとあらゆるジャンルの発信をしているため、内容を即座に理解し臨機応変にコメントする力がずば抜けています。
アウトプットの習慣を続けているから力がつき、色々なジャンルの専門家と対等に話ができ、ピッチコンテストでは審査員の立場から鋭いコメントができるのだと思います。
続いて西野亮廣さんは、これまであまりどういった発信をしているか知らなかったのですが、たまにYouTubeやX(旧Twitter)なんかで流れてくる内容が興味深かったので、メルマガに登録し、ブログもやっていることが分かったのでブログも読むようになりました。
するとかなり驚いたのですが、あれだけ色々なチャレンジをされているのに、毎日メルマガ、Voicy、ブログで発信していて、更にはコンサルや講演会までされています(なんと1日20時間働いているようです)。目にする発信が熟れている背景にはこの異常な量のインプット・アウトプット習慣があったんだなと感心しました。
岡田斗司夫さんもたまにYouTubeを見るのですが、物事の本質を見極めて言語化する力がずば抜けています。もう何年も前から未来はこうなるだろうということがかなり明確に分かっています。書籍も沢山出されていますね。
最後に後藤達也さんは、Xやnote、YouTube等で経済のことを発信されていて、クリエイターエコノミーでは最先端を走られています。以前に以下の記事を書いていますのでリンクします。
今回紹介した人達は、普通の会社員とは比べ物にならない程、臨機応変さとスピード感が求められ密度も高く責任も重大な仕事をされていますが、彼らの圧倒的な成果を支えているものはやはりアウトプット筋だと確信しています。
インプットとアウトプットの理想的なサイクル
アウトプットを沢山している有名人を挙げましたが、彼らには共通していることがあります。
それは、決まったアウトプットに対してインプットするのではなく、自由で幅広いインプットが余すことなくアウトプットになり、そのアウトプットが直接の収入になり、さらにビジネスアイデアにつながるなど間接的にも価値を生みだし、さらにさらにそのアウトプットをきっかけとしてヒトや情報が集まり、益々インプットの幅が広がるという理想的なサイクルができているということです。
インプットとアウトプットのサイクルでいうと、面白いなと思ったのがプロ奢ラレヤー(略称は「プロ奢(ぷろおご)」)さんです。
プロ奢さんは、他人に奢ってもらうことで生計を立てている珍しい方です。奢られる活動の開始後、奢りにくる人達が面白いということでTwitterで発信し、フォロワーが10万人規模になり、そして有料noteでも活動を始め、奢られた体験談を発信し毎月100万円以上の収入を得るようになったということです。書籍も出され、テレビやYouTubeなどにも出演され、アウトプットの幅を広げています。
プロ奢さんはまさに面白いインプットを大量に浴びて、それをアウトプットにし、収入も得て、更に面白い奴がいると奢りに来る人が増えるというサイクルを回しています。
そしてさらに色々な人を観察して、そこから導き出した考察や考えを発信もしていて、まさにインプットが血肉化し、自分の言葉で発信できるようになっています。
もちろん会社員でも、インプットをして、それがアウトプットになって次の仕事や評価につながるという流れはありますが、インプットしたことの多くはアウトプットにはつながっていないのではないのでしょうか。
大部分の人はまず、プレゼンなり稟議書なりの決まったアウトプット目標があり、それに対するインプットをするというかたちで、アウトプットに繋がるのはごく限られたインプットです。
やはりアウトプット筋を効果的に鍛えるためには、いかにインプットとアウトプットの伝導率の高いサイクルを作り上げるかもポイントとなってくるため、このサイクル構築を意識して環境づくりもしていくことが望まれます。
アウトプットの才能がない
さてアウトプットしている人たちの実例やその理想的なサイクルを挙げてみましたが、そんなこと言っても結局才能がある人がアウトプットできてるだけじゃないの?という意見もあると思います。
確かに最近の研究で、どんなことにも遺伝的な才能がある(努力できるかも遺伝!)ようなことが明らかになっていますが、僕は才能を重要視していません。
なぜなら、全員が全員アウトプットで直接お金を稼ぐ必要があるわけではなく、アウトプット筋を鍛えることで様々な能力が底上げされ、自分の考えをよりクリアに伝えることができ、そして自分の人生の選択肢が増えることが重要なためです。
他人との比較では才能云々の話が出てくるかもしれませんが、過去の自分との比較が重要で、例えるならボディビルの大会に出るわけではなく、日々の筋トレで健康になるし運動もできるようになるよねということなので、才能は本当にどうでもいいのです。
そもそも、才能がある人が沢山アウトプットしているので、どうしても才能が気になるのであれば、まずは同じだけやってみてから考えることで良いと思います。
記憶に残っているコメントがあります。
あるYouTubeの番組内で田端信太郎さんがアウトプットについて触れていて、枕草子の第百五十段の「能をつかんとする人」という一節を引用しながら説明しているのですが、これが本当に素晴らしい内容だなと思いましたので紹介します。該当する少し前の部分から始まるようにリンクしておきましたので、興味のある方は是非リンク先の動画をご覧になってください。
そこで最後に言うと、枕草子の第百五十段に「能をつかんとする人」という一節があって、「何事も上手くなってから人前で披露しよう」と言っている人で実際に上手くなった人はいない。
ReHacQ−リハック−【公式】:【後藤達也のSNS戦略】「少人数の熱量」の時代へ
何事も人に笑われたり指差されたりしながら「下手くそなうちから混じっていくうちに自然と上手くなるんだ」ということを徒然草で1000年ぐらい前から吉田兼好が言っている。
また最近購読し始めたある著者のnoteは、毎日休まず数千文字の記事が配信されているのですが、ある記事で、始めたころは二週間に一度の更新が大変だったが今では1500字程度は一筆で書けるし毎日の更新も大変ではなくなった、という旨を説明していました。
やはりアウトプットすればするほどアウトプットは上達していくんだなあと思ったエピソードです。
いずれにせよ、アウトプットはもはや睡眠と同じレベルで必要なので、才能がなくてもやる、というのが僕の結論です。
アウトプットする時間がない
アウトプットに関しては才能の他にアウトプットする時間がないという指摘が出てきます。
これはよく分かります。これまでの自分がアウトプットする時間がない派の急先鋒ですらあったと思います。
しかし今は一定の時間を取ってアウトプットをしています。
どうしてかというと、しつこいようですが、やはり他の何よりもアウトプット筋を鍛えることが重要だと考えるためです。
繰り返しになりますが、会社員時代とは比べ物にならないほどインプットの幅を広げた結果、やはり活躍している人、面白そうなことをしている人は例外なくアウトプット力が高いですし、どんなに忙しくてもアウトプットしています。
一見すると本業(本業という概念も薄れつつありますが)からは遠そうなことでもアウトプットに時間を割いていて、自分だったら、そんな時間があるなら本業の方に時間を割きたいと思ってしまいますが、アウトプット筋を鍛える重要性を理解しているんだと思いますし、そもそもアウトプットに時間がかからないことも大きいでしょう。
今の世の中で活躍するにはとにかく仕事が速くならないとダメで、もちろん速いだけではなく質の高さも要求され、さらには圧倒的な量も必要で、スピードも速く・質も高く・量も多く、という三つのことを成立させるためにはアウトプット筋が必要不可欠です。
アウトプット習慣はアウトプット筋を鍛えるカギであるにも関わらず、遠回りに見えてしまうのでやる人が少なく、さらには継続できる人も少ないですが、キチンと認識し実践できれば大きく差をつけることが可能です。
つまり大事なことは、アウトプットの重要性を正しく認識し、最優先事項に捉えなおすことが必要だということです。
物事は必然的にトレードオフなので、何かをやるには何かを捨てなければなりませんが、例えばアウトプットの時間を1日1時間確保するとして、一日を24時間ではなく23時間だと割り切って時間の使い方を組み立てると良いと思います。
ここで大事なのは、睡眠時間は削らないことです。睡眠は健康やパフォーマンスなどアウトプット筋以上に全てのことに関わる土台なので、睡眠はしっかりと確保しましょう。
僕はこれまで恒常的に睡眠不足になるような仕事をしていましたが、睡眠を確り確保するようになった今から振り返ると、パフォーマンスも低く、インプットしたことの定着もかなり悪かったと断言できます。
また前述のとおりアウトプットは鍛えれば鍛えるほど速く・楽になっていくので、いずれ時間の問題も解消されていきます。
ホリエモンは著書で、2000文字程度の書評であれば10分で書ききると言っており、忙しくて時間が取れないことを言い訳にするなと主張しています。
現時点で僕は到底そんな速さでは無理なので、時間の上限を設けて、その中でひたすらアウトプットしていく方法で実践していますが、たった数日でもアウトプットすることのハードルが随分と低くなったような気がしています。
まとめ
久しぶりに記事を書こうと思い書いてみましたが、ブランクのためか、初めの方は考えがうまく纏まらず、文章も進まないといったように負荷が大分高かったです。
しかし毎日少しずつでも書き続けたところ段々と思考がクリアになり、文章がスムーズに書けるようになっていき、やっぱりアウトプット筋を鍛えることは重要なんだと実感しました。
自分の社会人生活を振り返ると、インプットに大分時間を割いていて、インプットに比べるとアウトプット筋を鍛えるのが不十分であったため随分と勿体ないことをしたなあと思います。
今回の記事に書いたように、アウトプットが上手い人はどんどんと成長していき、一方の自分は、自分なりの努力は懸命に続けているものの、どうしてもそういうアウトプットが上手い人との超えられない壁みたいなものを感じてしまう日々でした。
才能の違いだと思っていましたが、そうではなく、単純にアウトプット量に大きな違いがある、という考えに至りました。
まだまだ自分のアウトプットは改善の余地ばかりですが、ケイスケホンダ的に「伸び代ですね」と思い、日々継続していきます。