どうも、とある社長です。
今回の記事は情報発信で迷われている方向けです。
テーマは情報発信とSEOについて。
そもそも情報発信の定義とは
ところで、情報発信という用語はかなり目にするようになりましたが、実は公的な定義はありません。
情報発信の定義をGoogle検索しても、いくつかの個人ブログでその人なりの解釈が説明されているのみですので、まずは本記事での定義づけをします。
辞典では情報と発信について、以下のとおり定義されています(国語辞典を実家に送ってしまったためオンライン辞典を参照)。
情報
実用日本語表現辞典:情報
情報とは、簡単にいえば、「伝えられる内容」のことである。主に「伝達」という行為においてやりとりされる、事実、知識、データ、合図(信号)、等々、あるいは、その事実や知識を伝達するという行為そのもの。あるいは、「しらせ」(知らせ・報せ)。
発信
実用日本語表現辞典:発信
情報や郵便物などを、外部に向けて送り出すこと。また、電話やラジオ、電信などを通し、音や電波を発することを指す。自分が持つ考えや意見を、複数の人数に伝えようとするときに「情報を発信する」という形で用いられることがある。意味が似ている言葉として「送信」があり、送信はメールや電気信号などを遠方に送ることを意味する。
黄色の下線部分をまとめると、「事実、知識、データ等々を外部に向けて送り出すこと。」となります。
ただ、緑色の下線部分の「自分が持つ考えや意見を、複数の人数に伝えようとするときに「情報を発信する」という形で用いられることがある。」は大分「情報発信」に近いくくりの説明になってますね。
違いとしては考えや意見を含めるかどうかですが、本記事では黄色の方は広義の情報発信、緑色の方は狭義の情報発信と考え、以下のように定義します。
広義の情報発信:事実、知識、データ等々を外部に向けて送り出すこと。
狭義の情報発信:自分が持つ考えや意見を外部に向けて送り出すこと。
さて定義づけも済んだので本題に入ります。
情報発信とSEOの関係
相反性
冒頭のとおり今回のテーマは情報発信とSEOについてですが、広義の情報発信では話がぼやけてしまうので、今回扱う情報発信は狭義の情報発信(自分が持つ考えや意見を外部に向けて送り出すこと)とします。
以下の記事でも情報発信の難しさについてSEOとの関係で触れていますが、その後も情報発信にチャレンジしてみて、やはりSEOは情報発信をする際の一つの壁となると実感しました。
どういうことかというと、情報発信は完結明瞭さや面白さが求められる一方で、SEOでは網羅性が重視されるというように相反性があるためです。
以前より情報発信の重要性を主張し実践しているホリエモンも、以下のとおり情報発信においては短く簡潔であることが重要と述べています。
アウトプットの際には、言葉の無駄を省く意識を持とう。
新R25:発信しなければ、未来はつくれない。人生を切り開く“ホリエモン流アウトプット術”
TwitterでもFacebookでも、だらだらと書いてはいけない。
意見は、短く、簡潔にまとめて書く訓練をしよう。
だらだら長く書くだけなら、誰だってできる。
長い文章なんて、有名な人のものならともかく、誰も読みたくない。
有意義な議論を促すために、短い、キレのある言葉で意見を発信するクセをつけていこう。
一方で、SEO対策では、文字数は多く(読者の需要に応えると結果として多くなるという主張ですが)、検索上位の記事が含めているポイントは網羅するように、更にそこに追加情報を加えることが重要と説かれているのは皆さんもよく目にするかと思います。
これはどちらが正しいということではなく、そもそもGoogleが掲げている使命が「Google の使命は、世界中の情報を整理し、世界中の人がアクセスできて使えるようにすることです。」というように、Googleは辞書的に整理された情報を重視していることが読み取れます。
またクロールでは完結明瞭な主張については良し悪しを判断できるレベルにはないので、どうしても情報が網羅された記事が重視されてしまいます。
ビジネスメディアのBooks&Apps管理人及びオウンドメディア支援のティネクト創業者である安達裕哉氏は面白いコンテンツやSEOの限界について以下のとおり触れています。
だから「面白いコンテンツはどう作ればいいですか?」
に対しての回答は、世阿弥の主張以上の話はない。
定型はない、むしろ定型はおもしろくないので、新しいものを目指しなさい、ということになる。つまりライターに求められるのは「人と違うことを書く」ことであり、皆が興味のある(マーケットの大きい)領域で「珍しい」ことを書けば、人気記事を書ける。
なお、個人的には、この「風姿花伝」は、最古のコンテンツ分析に関する書籍であり、現在でも十分、コンテンツメーカーには役に立つ内容を含んでいる。
「ライター」を志すのであれば、ぜひ読んでおくべきだ。*
その反面、「つまらない記事」は皆似ている。
Tinect:「ものすごくつまらない記事」の書き方を4通り、説明する。
定型的な構成、同じようなテーマ、使い古された議論、どこかで見た主張。退屈な結論……。
読者が「花」がないなあ……と、認識する所以は、そこにある。
意味が理解できなければ、当然、記事の質の判断は「被リンク」や「キーワードの出現回数」、あるいは「権威」に頼ることになる。
だが、それがGoogleの限界だ。
個人のブログのように「被リンクなし」「キーワード無視」「権威なし」、「でも鋭い感覚を持つ人」のアウトプットをGoogleは扱うことができない。
だから「Google検索は精度が悪い」と言われてしまう。
本来は、そういった思想の発掘は、Googleの役割ではないのだ。
であれば、ライターは「プラットフォームに最適化」していても、埒が明かない。
なにせライターの武器は
「面白い思想が語れること」
「独自性の高いノウハウが語れること」
「物語を語れること」
などであって、Googleの記事の判断基準とは、全く別の方向を持つものだからだ。
所詮、プラットフォームの寿命は数十年だ。
Googleですら、このザマだ。もう少しで彼らの時代は終わる。
だが、「素晴らしいコンテンツ」は、百年、千年とプラットフォームに依存せず生き延びる。
Tinect:ライターはなぜ「Google検索」を使うべきではないのか。
やはり面白さとSEOに相反性があることを指摘されています。
切れ味の違い
ここからは切れ味の違いと面白さの違いについて具体例を交えながら触れていきます。
まず、切れ味の違いの観点から、いわゆる特化ブログか雑記ブログかといった議論で特化ブログのテーマとして触れられることが多いウォーターサーバーについて。
そんなに特化ブログが優れているのであれば実際の記事を見てみようと思い、ウォーターサーバーの上位記事を見てみました。
すると確かにウォーターサーバーについて圧倒的に網羅された情報量で、これでは到底時間的にも勝負はできないと思いました。
しかし例えば、実際に使って分かったデメリットとして、浄水器と比べてコストがかかるとか、置く場所を確保する必要がある、などが書かれていました。
でもこんなのって使わなくても分かるよね?という感想が浮かんでしまいますし、キレのある発信とは言えません。
もう一つの例は炊飯器です。
先日のカンブリア宮殿で象印の炊飯器を取り上げていました。
概要は以下のとおりなのですが、この放送を見て「炎舞炊き」以外は考えられなくなりました。
- 家電量販店に並ぶ高級炊飯器の中でも「炎舞炊き」は圧倒的な売れ行きで、高級炊飯器の売り上げの半分以上が炎舞炊きによるもの
- スマホ操作などの多機能化よりも「いかにおいしいごはんが炊けるか」にこだわり抜いた
- 買い求める多くの客は「おいしいごはんが炊ける」という評判を聞きつけて購入していく
- おいしいごはんが炊ける秘密は炊飯器の底に取り付けるヒーターの構造で、かまどを研究し“炎の揺らぎで起こる対流”を参考に、熱源となるIHコイルは従来品の1つから6つへ
- 組み立てが難しいためすべて手作業で生産台数が半分以下となり値段が高くなっている
- 炎舞炊きで炊いたごはんが主役の象印食堂は大人気で、お客は何杯もおかわりする
試しにオススメの炊飯器や美味しい炊飯器でGoogle検索をしてみたところ、膨大な情報量の記事は何個も表示されるものの、ランキング記事ばかりで1位がバラバラ、情報量は多いもののポイントが分かりにくい、グッと引き込まれる記事はないという状況でした。
それぞれの記事の文字数は何万字にも及び、とても切れ味鋭い発信ではありません。
そもそも先入観がたっぷりありますが、1位が炎舞炊きじゃないって何なの?という感想です。
もしかしたら、美味しい炊飯器のオススメとして「炎舞炊き」という唯一の結論と、上記の根拠だけを書いたキレのある記事はあるのかもしれませんが、少なくとも検索結果上位に表示されてはなかったですし、されることもないでしょう。
面白さの違い
続いて面白さの違いについて。
極めて小さい例で恐縮ですが、最近書いた以下の2つの記事について。
1つ目の記事は、いわゆるキーワードを意識したタイトルにして、内容もある程度網羅的に記載し、文字数もそれなりに多い、というSEO向きの記事です。
2つ目の記事はキーワード度外視で興味を持たれそうなタイトルにし、内容も書きたいことをただ書いたものになっています。
1つ目の記事は公開後すぐにリクエストしてから数時間でインデックス登録され、その時点では弁護士事務所の記事などを差し置いて結構良い順位で表示されていました。
2つ目の記事は公開後すぐにリクエストしてから1週間経過してもインデックス登録されていません。
しかし現時点で2つ目の記事が1つ目の記事の何十倍ものPV数を獲得しています。
なお両方の記事は、X(旧Twitter)で同じように投稿の宣伝をしています。
記事数が徐々に増えてくると、SEO評価とPV数が多くなる記事が無関係、むしろ相反することがくっきりと浮かび上がるようになってきます。
検索ボリュームのあるキーワードを入れていくと、必然的にありきたりなつまらないタイトルになってしまうのです。
残念ながらまだ中身について何かの反応をもらえるほどのブログではないので、あくまでタイトルやメタディスクリプション、X(旧Twitter)で表示される記事の冒頭の数行による部分ですが、少なくともその部分で「面白そう」「読んでみよう」と思われるか思われないかの明確な差が出ていることが分かります。
何のために情報発信するのかを考える
繰り返しになりますが、どちらが優れているというわけではありません。
しかし何に向いているかは異なりますので、何のために情報発信するのかは明確にすべきです。
情報発信力を鍛え、社会の荒波の中で臨機応変に進んでいける力を手に入れたい方は、狭義の情報発信を意識する必要があります。
それぞれの特徴を独断と偏見で纏めると以下のとおりです。
情報発信 | 要約・独自 | ディスカッション・トーク力 ◎、収益性 △(間接的には◎)、 資産性 ○、面白さ ◎、ファン ◎、爆発力 ◎ |
SEO | 網羅・一般 | ディスカッション・トーク力 △、収益性 ◎(間接的には△)、 資産性 ◎、面白さ △、ファン △、爆発力 △ |
大雑把に言うと、情報発信はリーダーやビジネスパーソン、論客やカリスマ、インフルエンサー等に必要で、SEOはデータベースやアフィリエイト等に必要と言えます。
情報発信の収益性が間接的に◎なのは、アフィリエイトのようにその記事だけで収益を生み出すものではないものの、発信者自体が認知されファンがつき、ビジネスやメディア出演などを通じて大きく収益を獲得できるという意味です。
恐らく、情報発信をしようと思ってこの記事をここまで読んでいるような方は、狭義の情報発信をしようと考えていると思います。
状況が凄いスピードで変わっていき、テクノロジーにより辞書的な情報の価値が下がっていく今の時代では狭義の情報発信をすることがベターだと思いますが、SEOとして評価されにくいという性質があります。
つまり、どんなに自分ではいいと思ったことを書いてもSEOで評価されない日々にもしかしたら挫折してしまうことがあるかもしれません。
しかし磨き上げた情報発信スキルはいつか必ず役に立つ場面が訪れますので、腐らずに発信を続ける、ということが求められます。
ただ、たまにはSEO対策をガチガチにした発信をしても良いと思います。SEOはSEOで重要な場面があることは変わりませんし、できる上でやらないという方が引き出しも多くなりますので。
まとめ
深夜徘徊のブログが好きなのですが、最近久しぶりに深夜徘徊で検索したらブログの記事が全然出てきませんでした…。